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70歳以上の機関誌「銀杏」
シリーズ日本古来の文化  
     
 
 邦楽 三曲に於ける胡弓と尺八
 
龍田 武二(七七才)
     

 三曲という言葉は明治の後半から筝、三絃、尺八の三曲合奏が音楽会などにぼつぼつ現れてから専ら口にされるようになったが、実はこの三曲という言葉は既に江戸時代から芝居の狂言で『壇浦兜軍記』俗に言う「阿古屋の筝責め」で大衆に馴染まれていたのである。
 その三曲とは筝、三絃、胡弓の三曲をさしており、劇中阿古屋独りがこの三つの楽器を見事に弾きこなして、無事音曲裁判を切り抜けるというものである。音曲は、人の信実が音色にあらわれるという考え方から割り出された音曲裁判で、その責め道具が筝、三絃、胡弓となっているところが大変興味深い。
 このように胡弓は三曲にとって大切な役割を担っており、我が国で唯一の擦絃楽器としてなくてはならぬ存在であったのである。
 胡弓は、やはり三味線とほぼ同時期に琉球から渡来したもので、当時の三絃の師匠たる検校達に育てられて徳川時代を経た遺産なのである。その後も様々な工夫により、楽器そのものは大振りに改造されて行ったが、江戸より明治に至るに及び、同じ連続音の尺八に三曲合奏の株を次第に取られて行った。
 胡弓がやや衰退していった主な理由としては第一に音色が悲愁を含んでいること、第二に胡弓を弾く上で技術的に相当難しいこと、第三に唯一の擦絃楽器ではあるが筝、三絃に比して余技的存在であること等が挙げられる。胡弓に代り尺八が三曲の座を占めた。これは同じ連続音でも楽器の性能が違い、音色の点でも技術の点でも自然に筝、三絃と呼応して近寄った結果で、我が国初めての民間管弦楽生育の端緒となったのである。
 元来、古代の尺八は雅楽の中にも用いられており、正倉院には古代尺八が何本か残っている。しかし、その伝統は一度途絶え、現在の尺八の祖先は、江戸時代に於ける虚無僧の楽器として再登場し、名目上は普化(ふけ)宗という禅の一派が修業の法具として使用したもので、その演奏は「座禅」ならぬ「吹禅」と呼ばれたのである。
 現在も尺八本曲として伝承されているものは、本来そうした背景を持つもので、究極の目的は悟りの境地であった。
 明治維新後は、幕府からの特権という後ろ盾を失い、新たな活路を求めて進出したのが前述の筝、三絃との合奏であった。
 ここに至って、正式に宗教的存在を離れ、家庭音楽として「三曲合奏」の分野が創出されることとなる。
 そこで新流派として生まれた都山(とざん)流の成長も顕著であるが、一方元来の普化宗の伝統を受け継ぎながら時代に対応してしっかりと伝統を守り続けて来た琴古(きんこ)流と共に二大流派として盛行し、現在に至っている。

 

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