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70歳以上の機関誌「銀杏」
シリーズ『日本古来の文化』  
     
 
 歌舞伎界奇人伝
 
志摩 淳一(八二才)
     

 ここで云う奇人とは、いわゆる奇人・変人と言う程の意味ではなく、珍しいという意味にとって頂きたい。
 その歌舞伎役者の名前は中村時枝という。何故奇人かと云うと、その経歴が非常に珍しいからである。先ず、生年月日は大正三年一月二六日である。平成一三年には八七才となったが、昨年何月だったかに亡くなり、新聞記事に載った。役者としてはいわゆる三階さんと呼ばれる大部屋に属する端役専門の役者で、新聞に載ることは先ずない。それが何故新聞に載ったかというと、その経歴によるためである。その年代の役者では大学出は皆無と言ってもよいのだが、彼は文化学院大学・美術部を出ているのである。しかも日本画の巨匠、伊東深水氏の門下生となり、人物画のデッサンに専念し、また、舞台美術を田中良氏に師事している。そして歌舞伎を主とする演芸画報にスケッチ画を連載し、また歌舞伎座に常時展示したほか、何度か個展も開いている。私は、歌舞伎座には毎月観劇に 行くと共に演芸画報も愛読しており、同氏のスケッチを見ていた。
 そのスケッチ画を入手したく、また、同氏に会いたくて、演芸画報社に紹介を依頼して、同氏に会うことが出来た。そして学生の小遣いとしては高価な金額を工面して購入することが出来た。その絵は、一つは十五代・市村羽左衛門の扮する「桐一葉」の木村長門守のスケッチで、もう一つはやはり同優の扮する「菊畑」の虎蔵である。いずれも昭和十年代のものであるが、虎蔵の絵は縁あって現在はシルバーヴィラ向山の食堂に飾られている。
 昭和五五年には「女形絵師 歌舞伎を描く」という絵画本が東京新聞出版局から発行されている。ここに収録されている絵は何処から集められたのかは分からないが、演劇博物館にでもあるのか気になるところである。
 なにしろ、同氏は生涯独身で、身内のことも聞いたことがない。又、同氏が住んでいたアパートの部屋には、電灯と冷蔵庫の他電気器具らしいものがなく、電話もテレビもラジオも掃除機も洗濯機もないとのことである。
 前後したが、同氏は戦後、三代目中村時蔵の門下になったが、ある程度修業が進めば、名代試験を受けるのが普通だが同氏はこれを絶対に受けず、従って台詞もない女形の端役として一生を送ったのである。しかし、絵だけは描き続けて、普通の画家では中々見られない楽屋風景をスケッチしたりして、衣装を着ているところや、子役の顔を化粧しているところや、後ろ姿など面白いスケッチを描いている。前記の「虎蔵」も後ろ姿であるが、十五代目の舞台を見ている人にはそれと分かるタッチで描かれている。
 国立劇場の歌舞伎俳優養成所出身の若い綺麗な女形の中にいて、綺麗とも云えない老年の役者は、皆から煙ったがられていたらしいが、別に説教するわけでもなく、飄々としていて、三枚目的な面もあったらしい。前後したが、本名は高橋幸雄と言います。

 

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