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江戸時代、京都の八橋検校(一六一四〜一六八五年)は古くからの筑紫筝を改革の上、これを時代に適合するものに仕上げて、当時の人々に広く受け入れられたのである。
即ち、半音入りの陰音階による平(ひら)調子などの調弦法を考え出して、筝曲最古典たる筝組歌を創り出す一方で、筝独奏曲として「六段」「八段」「十段」などの段物を次々と作曲していったのである。
「六段」の初段は、その原曲と思われる曲が「糸竹初心集」(一六六四年)に収められているが、これを次第に変奏度を高めて「六段」にまで発展させたものと考えられている。そしてこの「六段」の形式を一貫して他の段物にも応用している。
声楽曲が主流であった古典曲の中で、八橋検校の「六段」はその知名度が圧倒的に高く、そのためか筝独奏以外にも、三絃、尺八又は胡弓との合奏など様々な合奏形態で演奏されたり、他の邦楽の一部にも色々な形で採り容れられ、後には調弦法を変えて「雲井六段」、「中空六段」といったような編曲との合奏も盛行するなど永く後世にまで絶賛されているのである。
八橋検校の時代から約一九〇年を経て尾張生まれの吉沢検校(一八〇一〜一八七二年)は、多才芸と世間から好評を受けたが、彼が「六段」に次ぐ名曲「千鳥の曲」を作曲したのである。
若くして平曲(平家琵琶)、地唄、筝曲、胡弓を習得し、その上雅楽、国学、和歌、漢学も学んでその多才振りは、当時の検校仲間でも目立っていたと云う。この「千鳥の曲」は吉沢検校が勾当時代に胡弓曲として作曲したのを後で筝曲化したものであるが、和歌をそのまま歌詞にしたのは、その頃では斬新な試みで、新しい筝組歌の創作であった。
調弦も陰陽折衷の調弦法で、古今調子を始めとして半楽調子、想夫恋調子といった様に、新しいものを創案しているが、「千鳥の曲」は古今調子によって作曲されている。
歌詞の前歌を「古今和歌集」から、後歌を「金葉和歌集」から採っているが、正に和歌を好んだ吉沢検校らしい試みである。
『潮の山、
さし出での磯に棲む千鳥、
君が御代をば八千代とぞ啼く』を前歌に配して、中間に手事(序の波の部と本手事、千鳥の部から構成されている)をはさんで、後歌を
『淡路島、
通う千鳥の啼く声に
幾夜寝醒めぬ須磨の関守』と続けて、
曲全体を古今調子で貫いているところが見事である。
数多くの名曲の中で、この「千鳥の曲」が一際卓越して、大勢の人々に愛されているのは、歌詞(うた)の心と曲想とがぴったりと合致していることと、曲全体の格調の高さにあると思われる。
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