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大正九年十二月九日、与謝野寛、晶子夫妻は西村伊作、北原白秋と連れだって、鵠沼の東屋に遊んだ。翌十年元旦の朝日新聞に「湘南にて」として五首を載せているが、その中に江の島の歌がある。
○ 江の島のともしび一つ盗みこよ
海女よ真珠はさぐる要なし
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昭和五年四月十八日、寛らと知人の別荘鵠沼の碧瀾荘(現在の松が岡一丁目あたりの高台)を訪れたときの江の島の歌が昭和五年五月発行の冬柏第一巻第三号―「石の床」―に載っている。
○ みんなみの海の上皆日となりて
ややしりぞきぬ江の島の松
○ 松原も海の上なる江の島も
春の夜いたりくろ髪となる
○ しら波が洞にかへらん身の如く
泣く引き潮の濱の路かな (註 洞:江の島岩屋洞窟)
○ その裏に金糸の刺繍(ぬい)のあるごとし
海の浅葱の寛袍の袖
ここ碧瀾荘から眺める薄暮の中の江の島はこのように高貴なばかりの海にぽっかりと浮んでいるようだ。このとき晶子は
○ 鵠沼の碧瀾荘をおとずれて
松とある日の春の夕かぜ
○ たそがれの露台に立てば悲しくも
海より深き松原の見ゆ
と詠んでいるから、この四首は碧瀾荘のバルコニーに立って夕景の江の島を詠んだ歌である。
また寛も同号「沙の音」で詠んでいる。
松原の上なる磯の荘に来ぬ
立ちても居ても見ゆる白浪
明るくも片瀬の山の若葉をば
その末に置く浜の松原
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昭和六年五月発行の冬柏第二巻第六号―「鎌倉詠草」―にも江の島の歌を詠んでいる。
○ 砕かれてなほとどまれる江の島の
如し寂しき海に見る日は
○ おぼろ夜に橘の実の盛れるごと
灯の美しき嶋を見るかな
○ 哀れなり片瀬の沙は桟橋を
追いつつ海の中みちとなる
○ 江の島や蘭の花ほど青みたる
波がしら立つ桟橋のもと
桟橋に打ち寄せる波頭は、まるで蘭の花のように鮮やかな明るい藍色をしている。この橋を渡れば美しい江の島だ。
橋を挟んで東から打ち寄せる波と西からの波とが、丁度桟橋の下でぶつかり合い、紺青の海に砕けて白い飛沫の花を散らせたものだと、古老は懐かしむ。
○ 橋のもと片瀬の濱のしら波の
上を越えんと銭まゐるかな
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