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その月にちなんだ芝居を選んで、しばらくの間連載させて戴きます。
一月は初春に相応しい「寿曽我対面」、二月は節分にちなんだ「三人吉三巴白浪」、三月は冴え返る春の「忍逢春雪解」三千歳と直侍の大口屋寮の場を選びました。
さて「寿曽我対面」は、華やかな舞台で、劇の大筋は、曽我十郎と五郎の兄弟が、小林朝比奈(配役の都合により朝比奈妹舞鶴)の手引きにより父の仇工藤祐経に対面して、後日富士の裾野の狩場で、工藤が仇討に応じるというものです。戦前の最高の舞台は、工藤を五世中村歌右衛門、十郎を十五世市村羽左衛門、五郎を六世尾上菊五郎が演じたものではないかと思いますが、残念ながら私は観ておりません。この芝居は、各役の見本を全部揃えたような芝居で、座頭役者の立役、立女形、若女形、若衆、道化役など全部が必要なので、大一座でないと上演できないので、正月に上演されることが多いのです。現在上演されている演出は、明治三十六年に、九世団十郎が工藤を勤め、六世梅幸を襲名した尾上栄三郎が十郎を、六世菊五郎を襲名した尾上丑之助が五郎を勤めた時の演出が決定版として今日に伝わっているとのことです。
二月の「三人吉三」は、和尚、お坊、お嬢の三人吉三が大川端で揃い、お嬢吉三が夜鷹のおとせから百両の金を奪い、おとせを川に突き落として、あの有名な「月も朧に白魚のかがりも霞む春の空……」の名台詞を歌い上げる場面で、その時に陰から「おん厄払いましょうか厄落し」の声が聞こえて、節分の夜であることがはっきりと分かるのです。それにしても、当時は大川、即ち隅田川で白魚が獲れたというのは隔世の感がありますね。この場面は、「三人吉三廓初買」の一場面ですが、単独で上演されることが多く浅草公会堂の若手歌舞伎でも、中村勘太郎、中村七之助、中村獅童、市川男女蔵らが演じております。しかし毎度のことながら十五世市村羽左衛門のお嬢吉三は得意な役で、現在も販売されているCDでは、和尚を七世松本幸四郎、お坊を十三世守田勘弥が勤めています。しかしこの芝居の全体の筋は暗い場面が多く、畜生道のことなどあり、結末は暗澹たるものがあります。またこの芝居は黙阿弥の最後の作品です。
三月の「忍逢春雪解」は明治十四年に上演された「天衣紛上野初花」の一部で、直次郎と三千歳との恋愛を描いた部分で、悪事をして追い詰められた直次郎が、最後の別れに、三千歳のいる大口屋の寮に逢いに来る場面。黙阿弥の作詞による清元の艶麗な曲により、二人の別れを見せる場面で、若い二人の新造が色を添えています。この直次郎も十五世羽左衛門の得意な役で、昭和十六年頃に十二世片岡仁左衛門の三千歳で上演した時には、二人の新造を当時の訥升(後の八世沢村宗十郎)と芦燕(後の十四世仁左衛門)が勤めましたが、二人とも若くて美しく色気のある人なので、三千歳よりもそちらに目が行ってしまう感じだったことが思い出されます。
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