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70歳以上の機関誌「銀杏」
ダンスと僕 障害者でもできる
     
 
  
 
 
田中 祐男
 
     

車椅子ダンスを楽しまれる田中さん(右) 僕がユニークダンスに夢中になったのは六十年ほどさかのぼる話になります。ちょうど東京が大空襲を受けるころの話です。まだその時分は地球温暖化もなく、冬はものすごく寒いころの話しです。今の我が家から通りをひとつ越えたところに、父が全財産を投入して当時の価格でも二千万円という莫大な投資をして作った私立中学校が、昭和十九年十二月三日たった一発の焼夷弾で全焼してしまいました。それからも空襲は激化して毎日のように防空壕に入っていました。防空壕の周りは凍っていてコチコチの状態で、恐怖と寒さで体中が凍りつくようでした。そのうちに肩のうしろの三角筋にものすごい激痛が走り、疎開先から帰ってきても治まる事はなく二ヶ月〜三ヶ月おきに必ず起こりました。
 それから四十年以上どんな物理療法をしてもまったく効果がなかったのです。そして昭和六十年区立の障害者センターに通うようになってもなかなか直らなかったのが、昭和六十一年四月僕が所属していたデイサービスのけやき会という自治会の中に社交ダンス部が出来ました。小さい時に姉夫婦たちが我が家で社交ダンスをしていたのを僕はうらやましく思い、いつか何とかして踊ってやろうと思っていました。そのダンス部の会を見学に行くとリーダーの岩本先生が、車椅子でも踊れますよと言い、早速踊ってくれました。それ以来、病み付きになり夢中で踊っていると、いつのまにか四十年間の筋肉痛を忘れてしまいました。
 それから少したって、山梨の施設に移ったためダンスはしばらくお休みする事になりました。二年半後東京に戻りけやき会に復帰し、最初に教えてくれた岩本先生が現在お世話になっている炭山先生に紹介してくれ、それ以来ずっと続けています。今考えてみると、ただのリハビリでは何の楽しみもなく治療しても何の喜びもなかったことが、直らなかった原因だと思います。そこへ行くとダンスは音楽に酔いしれながらパートナーとふれあい踊る喜びで筋肉痛を忘れる事になったのだと思います。創生苑の人たちもダンスの楽しみを知れば、少し位の障害は忘れられる事でしょう。このような経緯でサークルを作る事を考えました。サークル発足まで、そして発足後も創生苑のケアマネさん、リハビリ関係の人、ヘルパーさん達に、協力していただく事になりましたが、楽しみの少ない我々にとって最高の希望の星になると僕は信じています。

 

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