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常磐津節の曲風も時代の流れと共にいくつかの変遷がみられるが、創流当時の心中や道行を主題にした語り物の軟派な芸風から明和、元明(一七六〇〜八八)にかけて武張った題材の時代物即ち「積恋雪関の扉」(つもるこいゆきのせきのと)などの大曲が生まれ、劇場を基盤に歌舞伎舞踊の伴奏音楽として義太夫節の曲調を採り入れたりして、次第に重厚味が加わりさらに天保から幕末(一八三〇〜六七)にかけては、可笑味(おかしみ)を強調した「乗合船」のような軽妙飄逸に市井風俗を描いた滑稽味のある作品や同時に、劇的な内容と常磐津本来の重量感ある「将門」など時代狂言浄瑠璃の名曲も作られた。
「乗合船恵方万歳」 原作は天保一四年、江戸市村座の「祭礼歌曽我花山車」(きおいうたそがのはなだし)第二番目大切(おおぎり)に出た「魁香樹いせ物語」(かしらがきいせものがたり)で作者は三世桜田治助。作曲は、五世芹沢式佐であった。
後に常磐津家で、春のめでたい語り物として、この原作を独立させ「乗合船恵方万歳」と改題。のどかな初春の隅田川の渡し船に乗り合わせた万歳の太夫と才蔵、大工、白酒売り、巫女、通人、女船頭の七人が各自思い思いの振りごとをして踊る趣向で、乗合船を宝船に、七人を七福神に見立てたものである。
その思い思いの振りごとも寄り集まりだけに多様で面白く、最後の総踊りも賑やかに、『共に嬉しき乗合に声春雨と鳴り響く、初雷に人々は我が家をさして……』で幕となる。
江戸末期の洒脱な市井風俗を見事に描写した曲として人気を集めた快作である。
「将門」 「忍び寄る恋は曲者」とも云われ江戸市村座で上演された歌舞伎舞踊のための曲で、常磐津の代表曲の一つと云われている。
曲の中に将門が出て来るわけでなく、将門が没した後の話になっている。
主な登場人物は二人で傾城如月(きさらぎ)と源頼信の家臣大宅太郎光圀である。
光圀は平家の残党を探せとの命を受け荒れ果てた相馬の将門の古居城に忍び込んだ。
するとなぜか女が現れ、自分は島原の傾城であると色仕掛けで迫る。この場所はかねて妖怪が棲むと聞いていた光圀はいぶかり乍らも源平の軍話(いくさばなし)を物語って聞かせると、女は将門の最後の様子を聞いてひどく動揺する。そこで光圀が女を追求すると、女は、「自分は将門の娘瀧夜叉姫である」と本性を表わすという内容である。
この瀧夜叉姫は実在はしないが、一説によれば将門の死後奥州に逃れて仏門に入った将門の三女ではないかと云われている。
以上「乗合船」と「将門」が作られた時代は四世常磐津文字太夫と四代目岸沢古式部が共に活躍した時代である。
この文章を書くに当たり、改めて二つの曲を聞き直したとき三味線方の常磐津文字兵衛(後に文字翁)の繊細で小気味良い撥さばきが甚だ印象的であった。
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