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70歳以上の機関誌「銀杏」
特別インタビュー「メキシコ大使館に聞く」
メキシコ合衆国
面積 197万ku (日本の5倍強)
人口 一億320万人
首都 メキシコシティ
宗教 約90%がカトリック
言語 公用語はスペイン語
   先住民族の言語も大切にしており
   リゾート化の中で英語の通じるエリア
   も広がりつつある。
通貨とレート
   ペソで一般にN$と表記され
   N$1=12.07円(2003年2月現在)
  明治開国以来わが国と一貫して親善関係を保ってきたメキシコ合衆国。わが国とは最近自由貿易協定が結ばれ、今後ますます共存共栄の関係が深まることが期待されてい
 メキシコ合衆国は西に太平洋、東はカリブ海を経て大西洋に接する海洋国家です。海岸線の総延長は一万キロに達し、ビーチリゾート国家としてその美しさを誇っています。国土面積は日本の約五倍。遠く離れた地球の裏側の国であり、われわれ日本の老人はこれまでなじみの薄い国という印象を持っていました。しかし今回の大使館訪問で、実は昔から大変ご縁の深い国であり、これからもますます関係が深くなるお国であることを教えて頂きました。
 銀杏編集部がお邪魔したのは、十月二十日の午後、台風二十三号の豪雨の中でした。
 会議を控えてお忙しい中で、貴重な時間を割いてお相手をして下さった報道官のアルベルト・ロペス様は、日本語が堪能な上、日本の歴史・風俗・習慣にも実にお詳しい方でした。お話を伺って、岩城会長、永田様、島様、増田様、坂本さん、白須賀さんの六名が、ただ一度の短時間の訪問で、大のメキシコ・ファンになってしまった次第です。以下ロペス様のお話を、増田様が簡単にまとめてくださいました。
 
     
 
  
 
     

メキシコの歴史と特徴

 メキシコは、気候的にも地理的にも、非常にバラエティに富んだ国です。全体としては気候温暖な国で、海岸線の美しさには定評があります。しかし国土中央部には高原があり、高い山には雪が積もります。北部には砂漠地帯がありますし、南部のグアテマラとの国境にはジャングルがあります。ジャングルにはジャガーが棲んでいます。
ロペス様に花束を贈られる岩城会長  歴史は約三千年と非常に古く、二千数百年前にはマヤ文明が繁栄していました。マヤは各地にピラミッドや天文台を構築するなど、高い都市文明を築いていました。現在もリゾート地として有名なカンクンには、マヤ王族のリゾート遺跡が残っています。ところが九世紀から十世紀ごろ、突然多くの都市が放棄され、マヤ族は都市から姿を消してしまいました。その理由は戦争とも、トウモロコシの収量が激減したためともいわれますが、いまだに謎のままです。しかしマヤ族の後裔は今でもジャングルに残っており、マヤの伝統とマヤ語を伝えています。
古代都市テオティワカン  マヤ族は象形文字を持っていて、樹皮に文字を記し独自の文化を伝えていました。ところが、スペイン人が侵入してきたとき、この文書が全て焼き捨てられてしまったのです。焼き捨てた責任者が後悔して、その内容を思い出してスペイン語で文書にしました。このお陰でマヤ文明が不十分ながら現代に伝わっています。
 一方メキシコ中央高原では四世紀頃テオティワカン国が興り、十世紀にはトゥーラが栄えていました。十四世紀にはアステカ帝国が繁栄し、現在のグアテマラまで勢力を伸ばしていました。しかし一五二一年にここが「黄金の国ジパング」だと誤認したスペイン軍が、黄金を求めて侵入し、王様から黄金の在処を聞き出そうと王様の足に火をつけるなどしましたが、ないものはなく、王様は殺されアステカ帝国は滅亡しました。
親しくお話されるロペス様  しかしメキシコには現在でも、かつてのアステカ帝国を構成していたサポテカ人などが健在です。その言語であるサポテカ語は、現在も生きた言語として使われています。サポテカ人の家庭では、母親は子供が六才になるまでサポテカ語しか話しません。スペイン語を学ぶのは学齢に達してからです。私(ロペス様)の父はサポテカ人とスペイン人の混血です。母はレバノン人、祖母はフランス人、遠い親戚にはアフリカ人がいるなど、私の身体には多種多様な血が流れています。このようにメキシコ人は色の白い人、黒い人、黄色い人とさまざまです。この点が日本人とメキシコ人の大きな違いでしょう。しかし色が白くてもメキシコ人はスペイン人に比較すると、遠慮深く気持ちが優しい(自己主張が激しくない)のです。日本に来てから、この点は日本人とメキシコ人の共通点だと思いました。これはメキシコ人も日本人も農耕民族であることに関係があるのではないでしょうか。インタビュー風景 左から、島様、増田様、永田様
 スペイン語以外のローカルな言語で最も多く使われている言語は、ナワシリ語です。日本人に馴染みの深いチョコレートやアボガドという言葉は、全てナワシリ語です。
 また宗教では、メキシコ人は約九〇パーセントがカトリック教徒です。

メキシコと日本の関係

 明治政府が開国したとき、日本は外国からいわゆる不平等条約(在留外国人の裁判権は相手国にある。関税率を自由に決められないなど)を押しつけられました。日本はこの不平等条約の改正に必死の努力をしましたが、なかなかうまく行きませんでした。この改正に真っ先に応じた国が、実はメキシコだったのです。一八八九年のことでした。
 明治天皇はこれに感謝され、メキシコ大使館の用地として東京の中心である永田町の高台に五千平方メートルもある大使館用地を与えられました。この土地からは首相官邸、国会議事堂などいろいろな政府機関が目の下に見え、文字通り東京の一等地です。この大使館は東京にある大使館の中では、最も古いものの一つです。
 また世界で日本移民を最初に受け入れたのは、メキシコです。日系人の人口はブラジルなどに比較するとはるかに少ないですが、現在約三万人います。
 日本とメキシコの間には交換留学生制度があり、日本・メキシコとも毎年百名の留学生を相手国に送り相互理解を深めています。
 メキシコ観光は、ハネームーンを中心に日本人にかなり人気が出ています。カンクンは美しいビーチとマヤの遺跡で、人気スポットの一つです。しかしもっともっと日本から旅行に来て頂きたいですね。インタビュー風景 左から、ロペス様、岩城会長、島様、増田様、永田様

メキシコの産業

 メキシコは工業国で、世界でテレビ生産台数が最も多いのはメキシコです。また日本で生産されているラジオ、テレビ、コンピューター、自動車にも、メキシコ製の部品が沢山使われているはずです。
 天然資源も大変豊富です。石油の埋蔵量はイラクに匹敵するといわれます。

開放的な国メキシコ

 メキシコは移民を歓迎し、肌の色の違う人が仲良く暮らしています。チリにアジェンデ政権ができたとき、大勢の政治亡命者を受け入れました。この方たちの中には大変優秀な学者がおられ、メキシコで大学教授として学問の発展に貢献されました。

ロペス様が日本に関心を持たれた理由

 子供のころから日本には興味を持っていました。生家の近くに日系人家族が住んでいて、幼いころその家庭をしばしば覗きに行っていました。蚊帳があったり、お祖父さん、お祖母さんの写真が飾ってあったりしたのが印象に残っています。勤勉で礼儀正しい人々であるという明るいイメージと、世界で唯一の被爆国であるという暗いイメージとを併せ持ちました。私が十四才の一九六四年に東京オリンピックが開催されました。テレビ放送が始まったばかりのころで、世界最速の新幹線をつくった技術の国であることを認識しました。そして東京オリンピックの次のオリンピックがメキシコシティで開催されることになっており、「次はメキシコで会いましょう」というスローガンが流れ、私の日本について学びたいという気持ちがさらに大きく膨らみました。
主席領事ルイス・アンコナ様と岩城会長(中央)を囲んで左から、坂本さん、ロペス領事様、白須賀さん、増田様、島様、永田様  六八年のメキシコオリンピックの翌六九年、私はメキシコの国立自治大学に設立された日本学専攻に入学しました。親は「日本学など勉強して何になるんだ。建築だとか、医学だとかもっとちゃんとしたことを勉強しろ」と私を叱りました。しかし私は「たとえ家出しても」と初志を貫きました。大学で日本語を学んだ後、さらに一年間日本で勉強し、メキシコへ帰り日本語教師をしました。しかし当時の私の日本語のレベルはまだ低かったと思います。その後東京外国語大学大学院の修士課程で古文、漢文、英語、音声学など深く日本語を研究しました。今では日本の新聞も読めるし、漢字も書けるし、自分でも私の日本語は一応満足できる水準に達したと思っています。
 私は日本を一生の仕事にしたことに後悔していません。日本学は大変奥行きが深く、これからも一生をかけて勉強するつもりです。
 会議があるため、短時間でインタビューを打ち切らなければならなかったのは残念でしたが、ロペス様の日本に対する情熱には本当に感動させられました。最後に主席領事のルイス・アンコナ様がお見えになり、一緒に記念撮影に入って頂きました。秘書のマツダ様など、お忙しい中を皆様本当に有り難うございました。

 

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