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長唄は歌いものの中で、最も一般的に知られ、三味線音楽では最も多くの内容を持った歌曲とされているが、もともと十七世紀の末頃江戸に生まれた歌舞伎音楽で、所作事(舞踊劇)の伴奏として発達し、文政三年(一八二〇)頃からは歌舞伎から脱却した「お座敷長唄」が生まれ、次第に地歌、浄瑠璃、謡曲、狂言などの歌詞や旋律を採り入れて集大成を遂げた細棹芸術である。
その音楽的な特徴といえば、唄も三味線も他の邦楽に比べて淡白で歯切れ良く、特に速いテンポの演奏に特色がある。そして最も広い領域と複雑な旋律を持ち、同時に多様な音楽的演出法をもっている。調子も初期の二下り調子の短いものから三下り調子とさらには浄瑠璃風の本調子も採り入れ、今日では本調子、二上り、三下り、六下り、下り調子などを組み合わせて、上調子、替手などを入れた複雑多様な旋律で曲を面白くしている。
天保期(一八三〇〜一八四四)から幕末にかけては長唄全盛期で、大名、旗本、豪商、文人などにも愛好者が現れて、彼等の後援のもとで、観賞用長唄としても大盛行した。
数ある曲の中で、江戸の文化人の教養の高さを感じさせる曲として江戸の名所を詠み込んだ「吾妻八景」と「秋の色種」が挙げられる。
「吾妻八景」この曲は文政十二年(一八二九)四月、四代目杵屋六三郎の作曲によるもので、当時の劇場音楽形式の長唄とは作風が全く異なっていたため大変驚かれたそうだが、今日では優雅ですんなりと良く出来た曲として演奏の機会も多く、三味線の方でも、佃の合方(佃島住吉神社祭礼の囃子)、砧の合方、楽の合方(雅楽の雰囲気を持つ)と長い合方が三つもあって、聞かせ処が多く、『実に(げに)豊かなる日の本の、橋の袂の秋の初霞……』と、日本橋を振り出しに、南の御殿山から高輪、それから駿河台、お茶の水、北に行って浅草の本願寺、宮戸川、浅草寺、墨田川、衣紋坂、引き返して上野忍ヶ岡、不忍の弁財天等々江戸の名所を次々と詠み込んであり、楽しめる名曲である。
「秋の色種」 この曲は弘化二年(一八四五)十二月、江戸麻布の不二見坂にあった盛岡藩主南部侯の屋敷の新築祝に、十代目杵屋六左衛門が作曲したもので、「吾妻八景」とならんで、歌舞伎や舞踊から離れた演奏会用長唄の代表的な作品である。
歌詞の内容は、江戸麻布の秋の情景をうたっているが、様々な秋の草花や松虫の鳴き声などから和歌、日本の漢詩、中国の故事などを巧みに繋いでイメージを広げ、また地歌や筝曲からの引用もあって、大変味わい深いものとなっている。
曲の構成は、本調子、二上り、三下りと変化する。本調子の『その暁の手枕(たまくら)に松虫の音ぞ』の歌詞の後の、チンチロリンという松虫の音を模した虫の合方、また二下りの『清掻く(すががく)琴の爪調べ』のところで、琴の合方と二つの合方があって、三味線の聞かせどころとなっている。
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