シルバーヴィラ向山TOPページ シルバーヴィラ向山TOPページ 催事 催事 花ちゃん通信 花ちゃん通信 出版・報道紹介 出版・報道紹介 機関誌「銀杏」 機関誌「銀杏」 施設紹介 施設紹介
70歳以上の機関誌「銀杏」
特別企画「若い世代に伝えたい一言」
 
  新春号に引き続いて、激動の明治、大正、昭和、平成を生き貫いて来られた方々にご寄稿いただきました。  
     
 
 三回召集されて奇跡的に生還
 
 
内野 善三(九十才)
 
     

最近の内野善三様 私は、三回招集を受けましたが幸い激戦地に連れて行かれることはありませんでした。最初は、昭和十三年に満州の黒龍江そばで、ソ満国境警備隊でした。トーチカにいて櫓の上から望遠鏡で見張っているのです。そんな仕事を五年半やりましたが、とにかく寒いのと満足な食べ物が無いのには往生しました。野菜は全て乾燥野菜で味噌も粉末です。生ものは一切無く、蛋白源は鮭だけです。
 休日は町へ出かけました。歩いて二時間ばかりの黒河という所で、当時そこはゴールドラッシュで景気が良いものですから、とても物価が高くて参りました。甘いものに飢えていましたから饅頭を食べるのが楽しみでした。あとはせいぜい、餃子かシュウマイぐらいなものですね。映画館は一軒ありましたが、内地で三年ぐらい前に上映された古いものです。黒龍江は幅800メートルほどありますが、秋になると浅瀬に鮭が上ってくるのです。それを手掴みでいくらでも取れました。
 そこは十八年に除隊して帰れたのですが、もし終戦までいたらシベリア送りでしょうな。 二度目の召集は、広島県の暁部隊といって陸軍の船舶隊です。輸送船の護衛で沖縄に行きました。十九年の空襲で船が被害を受けましたので、私は広島に戻りました。もし、そのまま沖縄にいれば、あの激戦に遭って命はなかったでしょうな。
 その次は、朝鮮海峡の警備につきましたが広島に原爆が落ちたときは、対馬にいたので難を逃れることができました。

 それにしても、ずいぶん幸運に恵まれたものですね。終戦を迎えたのは何処ですか。

 対馬でした。唐津で軍を解散して東京に帰ってきましたが、家も仕事もありません。当時軍隊上がりが職につけるのは、警察か消防ぐらいなものでした。官舎もありましたので消防署に勤めることにしました。妻と子供二人を抱えて、食料の確保が最大の問題でした。人間生きていくということがとても難しい時代だったですね。食料から生活用品の全てが配給でしたが、配給だけではとても足りません。リュックを背負って千葉県や埼玉県まで買出しに行きました。消防署は二十四時間勤務ですから、一日おきに仕事を終えた朝帰りに、休む間もなく買い出しに行きました。そんな苦労をしても、米はめったに手には入りません。芋や大根がせいぜいです。それも法律を犯すヤミ取引ですから、警察に見つかれば没収です。悔しい思いを何度味わったことやら。今から思えばみんな嘘のような話ですが、そんな時代もあったのです。

 

このWebに記載されている全てのコンテンツ(文章、画像)の著作権は、
シルバーヴィラ向山と情報提供者に帰属します。許可なくほかに転用することを禁じます。