| 私は、新宿の女子校に入学して間もなく、戦争が激しくなりましたため、両親の故郷である長野県に疎開しました。
疎開先は、学校まで約一里半〜二里(約七キロ)ありましたので、徒歩で約一時間半を要しました。私は、生れつき体が弱く病気がちでしたが、疎開先で終戦まで一年以上、毎日約三時間をかけて徒歩で通学したことによって体が丈夫になりました。
私の東京の家は、西荻窪にありましたが、幸い空襲をまぬがれて焼けずに残りましたので、間もなく疎開先の長野県から東京にもどりました。しかし、学校の校舎のほとんどが焼けてなくなっていましたので、授業は他の施設を借りて行なわれるような大変な状態であったことを思い出します。
この年、通学に少しでも負担がかからないように両親が中野にある親戚から通うようにしてくれましたので、中野から新宿の学校に行くことが出来ました。
当時は、生きること、通学することで精一杯でした。
私の両親は、教師でした。私も子供がかわいく好きでしたが、私は教師になるよりも、医療を通して「人のために、特に子供のために尽したい」という思いが強くなり、医学部に進学することにしました。
私は、小学校の時に、母に連れられて教会によく行きましたが、母を通して聖書を学んだことを思い出します。
幸い医学部に進学することができて医師となり、小児科の医師として最善を尽してきたつもりですが、今なお、人のために何かしたいという抑えがたい気持があります。
戦前の私達の年代の方は、家庭や学校で、また習慣を通して身につけた倫理、、道徳というものが、今の若い人達と基本のところで違ってきているように思います。
人間としてしてはいけないこと、恥と思う心が消えかかっているように思います。
思うようにならない今の自分をつらく思うことが多い毎日です。
「どうすることが、最もよいことなのか」まだ心が定っていません、
思い悩むことが多い毎日ですが、、なんとか最もよい道をさがし出して、あるがままの自分をすなおに受け入れて、感謝と喜びに満たされる日を過したいと願っています。
これまでの人生をふりかえると、いつも問題をかかえて悩みの中に、不安の中に自分なりに精一杯生きてきたつもりです。
どんな時も、どんな処でも一生懸命生きていれば、神様は必ず最もよい道を時にかなって備えてくださるものと信じています。
若い方もこの確信をもって生きていってほしいと願っています。
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