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70歳以上の機関誌「銀杏」
特別インタビュー「ケニア共和国大使館訪問」
 

 銀杏の大使館訪問記も回を重ねて七回目になりましたが、アフリカのお国を訪問したのは今回が初めてです。
 中国は中国が世界の中心と思い、米国も自分の国が中心と思うように、私たちも日本を中心に考え、ケニアは地球の端にあるライオンやチータの住む遠いお国だと考えていました。それが歴史で習ったクレオパトラ女王を思わせる美人のオレセイン一等書記官様からお話を伺い、まさしく目からウロコが落ちる思いでした。ケニアの方々は頭脳明晰で賢くておられることを初めて悟りました。
 二十二世紀にはインドやアフリカが世界の中心になるのではないかと、本気で思いました。その国の国民はその国の女性が産み育てるのですから、日本の現代社会を見るととても心配です。日本の女性もよほどしっかりしないと、二十一世紀の終わるころには「昔日本人という優秀な民族がいました」と歴史の本に書かれるかも知れません。そうならないようによほど勉強しなければならないと考えながら、この訪問記をまとめました。

(岩城祐子記)

 
     
 
  
 
     

デニス・N・O・アウォリ大使閣下に岩城会長から花束が贈られた 今回は十月四日朝、目黒区八雲のケニア共和国大使館をお訪ねしました。訪問したのはいつもの岩城会長、永田様、島様、増田様、坂本さん、白須賀さんの六人です。
 かつてナイロビにお住まいになったことのあるアプランドル向山居住者の山本鞠子様が臨時に参加されることになっていましたが、ご病気で欠席され残念でした。
 大使館では特命全権大使のデニス・N・O・アウォリ閣下と一等書記官のナイリマス・S・オレセイン様が私どもをお迎え下さいました。大使閣下はご多忙の中を「銀杏」のため貴重な時間を割いて記念撮影に応じて下さいました。オレセイン書記官は奈良の天理大学に留学されたご経験があり、日本語が大変お上手で、大使が退席された後私どもの質問にご親切、ご丁寧にお答え下さいました。

ケニア共和国と日本の関係魅力あふれるすばらしいお話をして下さったナイリマスS.オレ セイン一等書記官
 岩城隆就社長は三菱商事に勤務していた当時、発電プラント建設の仕事で何度もケニアを訪問したことがあります。
 ケニアと日本は遠く離れていますが、昨年はケニアのキバキ大統領が日本を訪問され、また日本からは二〇〇一年に当時の森首相がケニアを訪問されています。また九九年に高円宮様がケニアを訪問され、両国の関係には深いものがあります。昨年環境保護に尽くした功績でノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイ女史が、日本の「もったいない」という言葉に感銘を受け世界中にこの言葉を広めました。
 ケニアはアフリカで一番日本人が多く住んでいる国です。日本人は商社マンや技術者などビジネスに従事している人が大部分です。
 ケニアの若者は地理や歴史の授業で、日本のことを学んでいます。日本は遠いので人の行き来は少ないが、日本とケニアの貿易は盛んで、日本から自動車や電気製品が大量に輸入されています。
 ケニア人の日本に対するイメージは、自動車と電気製品です。また日本に行ったケニア人は「日本人は働き者」というイメージを持って帰ってきています。ナイロビの日本大使館文化センターでは、毎月日本映画を上映しています。またここでは日本の本を自由に読めますし、絵画の展覧会が開催され、ドキュメンタリー・ビデオを見ることもできます。

ケニア共和国の概要
 アフリカには五十の国がありますが、ケニアはサハラ砂漠より南で、インド洋に面していて、赤道直下にあります。
英国の植民地から独立国になったのは一九六三年です。ケニアには四十二の部族があり、それぞれ異なる言語を持っています。そこで国語(話し言葉)は東アフリカでよく使われているスワヒリ語、公用語(書類作成用語)は英語になっています。多くの部族がありますが、ケニア人としての一体感が強く部族間の争いはありません。
インタビュー風景 左から岩城会長、永田様、島様、増田様、白須賀さん 大統領選挙は五年ごとに行われます。
 ケニアは農業国で、工場もほとんどが農業関連です。最も重要な農産物は紅茶(ケニアではチャイといっています)です。これまで世界最大の紅茶生産国はスリランカでしたが、今年ケニアがスリランカを抜いて首位になりました。(美味しいミルクティーをご馳走になりました)
 ケニアはサファリ観光大国でもあります。英国、ドイツ、イスラエルからの観光客が多いが、日本人も年間一万人ぐらい来られるようになりました。ライオンや象などが自然環境の中で生活しているので、是非観光にお出で下さい。
 ケニアの首都はナイロビです。ナイロビは川の名前で「冷たい水」という意味です。独立当時は小さい町でしたが、現在は人口が三百万人で高層建築のある大都会です。

ケニアの気候
 その砂漠地帯こそ最高気温が摂氏三十五度と厳しいけれど、中心地域は気温が最高二十八度、最低十六度と赤道直下とは思えない過ごしやすさです。ナイロビでは今年何十年ぶりかで三十度を記録しました。海岸地帯は湿度が高く、最高気温も三十五度になりますので蒸し暑いです。台風が襲来することはなく、雨期が四、五月と十一月の二回あり、四月には大雨が降ります。
 ケニアは気候が日本と反対で、七,八月が厳冬期です。

ケニアのお年寄り
 ケニアでは法律で定年が五十五才と定められています。また六十才以上が高齢者と呼ばれ、全人口の約四パーセントを占めています。一家に三世代、四世代が同居する大家族で生活しているのが普通です。高齢者は「経験と知恵の銀行」として家族に大切にされています。高齢者ホームはありますが、余り利用されていません。子供が仕事の関係で都会に住んでいても、休暇には家族を連れて年老いた親元に帰るのが普通です。
 ケニアの平均寿命は五十二才です。百才まで生きる人もいますが、非常に稀です。

ケニア人の文化と生活
 ケニア家庭の子供の数は平均三人です。昔と比べると子供の数は随分少なくなりました。昔は村全体で子育てをしていましたから、子供が多くても育てられましたが、親だけで育てることになり大変です。
 スポーツで最も盛んなのは陸上競技とサッカーです。女性に最も人気があるのはネットボール(英国で生まれた女性用のバスケットボール)とバレーボールです。
 音楽、舞踊は部族により異なります。ギターに似た弦楽器、獣の角を加工した管楽器などさまざまな楽器で音楽を奏でます。首にビーズをつけて踊ったり、足だけで踊ったり、腰で踊ったり、音楽も舞踊も部族によりさまざまです。
デニス・N・O・アウォリ大使閣下を囲んで左から白須賀さん、島様、永田様、岩城会長、増田様、坂本さん ケニアでは、お祭り、パーティなどに食べるご馳走として「ニャマチョマ」があります。これは山羊肉か牛肉の「ケニア風焼き肉」です。これに「カチュョンバリ」というトマト、オニオン、コリアンダー、唐辛子などの辛いサラダがつきます。かつて東京にケニア・レストランがありましたが、数年前に閉店したので現在はケニア料理を食べることはできません。
 ケニアの主食はトウモロコシの粉をお湯で解いた団子(ウガリ)です。ほかに長粒種のお米(タイ米のような)も、チャーハンにして食べます。
 ケニアのトウモロコシは米国の黄色いトウモロコシと違って色が白く、黄色いトウモロコシは食べません。トウモロコシの収穫期は六月なので、寒い七月に火で焼いて食べます。子供達は学校の冬休みにお祖父さん、お祖母さんのところで食べさせてもらいます。

 オレセイン書記官は長身の美しいご婦人で、長時間にわたり私どもの取材にお付き合い頂きました。外交官として日本に着任されたのは二年前で、任期が四年なので二年後には本国に帰任されるそうです。かつて留学されたこともあり、次の海外赴任にも日本に来られれば嬉しいと言っておられました。
 オレセイン様に確認するのを忘れましたが、スワヒリ語の挨拶の言葉は「ジャンボ」だそうです。最後にジャンボを三唱して、今回のインタビュー記事を閉じたいと思います。
 ジャンボ! ジャンボ! ジャンボ!

(増田記)

 

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