| 「ジャンボー!アバーリ?」とは、スワヒリ語で「こんにちは!お元気?」ということです。私が商社に勤務していた夫の赴任地ケニアに行ったのは三十年前のこと。
首都ナイロビは、長い長いハイウエイをひた走った後、突然目の前に美しいホテルや店の並ぶ緑豊かな都会が現れた感じでした。英国から独立して間もない時で、まだマクドナルド総督がおられ、ケニアのムルンビ大臣と共に親しくして頂きました。
若かった私ども夫婦の住まいにも、バナナやアボカドが生り、火炎樹(ジャカランダ)やポインセチアが華やかに咲く広い庭がありました。必ずボーイさんを雇うきまりでしたが、始めはあちらは英語が、こちらはスワヒリ語があやしくて、とんちんかんでテンヤワンヤなひと幕もありました。
色々と珍しい所にサファリ(旅行)もしました。有名な「ツリートップ」(木の上のホテル)は、たまたま英国のエリザベス王女がご滞在中に父のジョージ六世陛下が亡くなられ、ここで即位されて女王陛下になられたという歴史的な場所です。
旅の行く先々では、どこも人々が太鼓を叩き、腰を振って大声で歌っていました。道端では、サイザル麻の糸で編んだ網バッグを売っていました。
有名なキリマンジェロはケニアとタンザニアに跨る高山で、麓の「サファリパーク」はきれいなコテージ、レストランが立ち並んでいました。花や鳥も美しく、以前ハリウッドスターのW・ホールデンが経営していたすてきなリゾートがありました。
「ルエンゾーリ」という高山の麓には、ピグミー族(大人でも身長が百四十〜百五十センチ位しかないごく小柄な種族)の村が見られました。またモンパサ海岸にはアラブ人が多く住んでいて、豊かできれいな観光地でした。
また湿原のナクルではフラミンゴの大群が見られ、エチオピアから延延と続く長い長い渓谷「リフトバレー」は、大昔の地殻変動の跡と聞きましたが、まさに奇観と言うべき風景でした。
巨大な深井戸のような地形でその名も珍しい「ゴロンゴロンクレーター」には、沢山の猛獣がおり、中でもふしぎな木登りライオンが印象に残っています。
そして英国の探検家リヴィングストンが建てた小さな教会にも行きましたが、インド洋のグリーンの波と椰子の木の調和した美しい風景は忘れられません。
ナイロビには、昔鉄道をひくためにインド人が連れて来られた関係で、インド人の店が多く、当時はまだ日本料理店などないので、よくカレーの店に行きましたが、何種類ものスパイスを入れて大変おいしいものでした。 大きなスーパーマーケットもあり、沢山のくだものや、木彫りの民芸品などを売っていました。高い木の梢に出た若芽が好きなキリンのために、「ニュー・スタンレイ・ホテル」の前には大きなソーンツリーが植えてありましたが、今もキリンが来ているでしょうか。
「ポレポレ」(ゆっくり)な時間の流れるケニア、ナイロビの日々を懐かしく思い出します。
アプランドル向山にお住まいの山本鞠子様が、今回のケニア大使館訪問に合わせて、お若かったときに滞在されたケニアの思い出話を寄せて下さいました。お話しを伺って記事をまとめて下さったのは永田様です。 |