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日本の子供の学力が低下している。この原因は「ゆとり教育の弊害」だといわれます。
先日教育社会学者の刈谷剛さんの書かれた文章を日経ビジネスで読みました。その中で「数値で論じない日本人」という見出しが目を引きました。私が驚いたのは「小中学生の学力がどう推移しているのか、文科省が何もデータを示していない」という指摘でした。しかも「文科省は調査はしていたが、対外的に発表しておらず、政策決定に使わず、中教審でも全く議論されていなかった」のだそうです。そういう科学的根拠には目もくれず、「勉強時間は今まで長すぎたから減らす」とか、「役に立たない勉強をして何になる」といったムードだけで議論をしてきたのだそうです。それなら調査は予算の無駄づかいで、やらない方がよいくらいのものです。
八十年代まで米国と違って日本にはフリーターだとかニートなどという無気力な若者はいませんでした。九十二年に学習指導要領が改定されました。「もう教える時代ではない。子供達が自ら学びたくなるように関心や意欲を高めることが教育だ」ということを打ち出したのです。全ての子供が目を輝かせて自分から学びたいといってくれれば素晴らしいことです。でも顧みれば私は勉強が嫌いな子供でした。勉強が好きで親から「遊んで来い」と追い出される子供は珍しいでしょう。「泥棒がいないから、鍵を掛ける人がいない」という言葉を民衆の道徳が高いことの表現として読んだ覚えがあります。しかし残念ながら現実には鍵屋さんは失業しないし、警察が暇で困った例はありません。理想が現実になっている例は余りないようです。刈谷さんは「有識者を集めて、データもないまま、印象や自分たちの体験で指導要領を決めてきたツケが廻ってきた」と批判しておられます。有識者はきっと勉強大好きのよい子ばかりだったのでしょうが、自分たちは例外だとは思わなかったのでしょうね。日本の教育は現実離れした理想論を採用して、子供達から嫌なことに立ち向かう精神を奪ったのだと思います。
今いわゆる一流大学の入試合格者は、圧倒的に高収入者の子弟が多いそうです。皆学習塾に通い、詰め込み教育を受けています。もちろんいわゆる一流大学卒業生が本当に優秀かどうか、ブランド製品を無批判に押し頂くのはやめ、本人の実質を見るべきでしょう。しかし昔ソニーの盛田さんが「学歴無用論」に書かれたように「学歴はいらないが、学力がないと困る」のは当然です。学力がつかない教育は、遊園地で子供達を遊ばせているようなもの。私にはいろいろな段階で尊敬できる先生に接する機会がありました。今でも幸運だったと思います。
私は教育関係者に「生徒の記憶に残る先生になって頂きたい」とお願いします。私も人生の最終幕に立っていますが、人生の後輩諸君に何か残したいという大それた望みを持っています。「我に過ぎたる望みをば、君ならでこそ誰が知る」という心境です。
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