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70歳以上の機関誌「銀杏」
特別企画「若い世代に伝えたい一言」(第六回)
     
 
 戦中戦後の思い出
 
 
原田啓子(90歳)
 
     

原田啓子様 たんせいに栽培したツツジ等のある自宅の庭にて 私は、前牛込区矢来町(現新宿区矢来町)で大正4年に生まれました。先祖からのお墓は上智大学の前にあって、家族でお墓参りにいったことをなつかしく思い出します。
 私の幼い頃は、家の前で兵隊さんが四列に並んで九段(今の武道館の処に近衛連隊がありました)から新宿の訓練場(当時は、戸山ヶ原練兵場と言っていました)へ向かって行進していくのを毎日見ていました。激しい訓練のためだと思いますが、自宅の前のドブ板に倒れた兵隊さん、フラフラしながらやっと行進している兵隊さん、倒れて歩けなくなってリヤカーで運ばれる兵隊さんの姿は、今でもはっきり覚えています。
 また、4月7日のお釈迦様のお祭りには、芸者さんが着飾って自宅の前を通っていったことを思い出します。自宅周辺の神楽坂は、いつも一日中にぎやかな町でした。
 私は、女学校を卒業してから経理の仕事に興味をもち、簿記専門学校に通って、資格をもってから、銀座「松屋」(経理)に勤務しました。春のきれいな桜並木を見ている中に、自宅から桜並木の中を徒歩で通える所に勤めたいと思い、当時麹町にあった万平ホテルに勤務することにしました。以来万平ホテルで育ったような私です。
 それから戦争を体験しましたが、思い出はつらいものがあります。
 私は、海軍が好きで、海軍省に軍属として勤務しました。原田啓子様 戦後、父上と必至で建てたバラックの様な家で迎えたお正月
私の弟は、海軍に入り出兵しましたが、アッツ島で玉砕しました。横須賀に、遺骨を取りに来るように連絡がありましたが、行けませんでした。そうこうしているうちに、上野の寛永寺で渡すから来るように連絡がきましたので、遺骨を引き取りに行きましたら、骨壺の中には、遺骨はなく一枚の弟の写真が入っているだけでした。当時遺骨が帰って来ない人もあり、写真一枚でも帰ってきたのは、幸いでした。
 空襲で自宅が焼けたのは、忘れもしない昭和20年5月25日の最後の東京大空襲の時でした。家族三人(父、母、私)が、手をつないで逃げましたが、後ろから来る人に押されて母は手を放してしまい、父と私は母を見失ってしまいました。父と私は必至に母を捜しましたが、全て灰だけになっていて一週間母を捜しましたが、見つかりませんでした。
 父と私は、焼け跡に家を建てるために深川に釘を買いに行き重い釘を背負って電車に乗り、見つかったら取り上げられるのではないかと心配しながらやっとの思いで運んできて、バラックを建てました。深川には、釘の工場があり海軍省の関係で入手ができました。他の物資の入手も、海軍省に勤務していたので割合よかったと思います。
 私は、もう結婚しないつもりでしたが、友人の強いすすめがあり結婚しました。結婚しても、日本の復興のために少しでもお役に立ちたいという押さえがたい気持ちから、万平ホテルに勤務し、七十五才まで経理担当として働かせていただきましたのは、本当に感謝でした。
 私が、万平ホテルに心をひかれたのは、このホテルは、軽井沢において佐藤国三郎氏(後の万平)によって明治23年(一九八〇年)に日本旅館「亀屋」から出発したのが、起源と聞いていますが、日本旅館からホテルに発展したのは、カナダ生まれの宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーと文科大学(現東京大学)の教師で英国人のシェームス・メイン・ゲイクソンの二人が軽井沢を訪れ、風土がヨーロッパ的であることに気付き、当地が好適な避暑地であることを広く在日外国人に紹介したことにより、国内外の人から親しまれるホテルに発展していったことに深く興味をもったことにあります。
 また、私の父の名前が、創業者の佐藤万平様と同じ「万平」であることにも親しみを持ちました。
 戦後万平ホテルの復興のために、諸手続きが必要になりGHQに何度も足を運びました。当時は、皆モンペ姿でしたが、GHQに行く都合でユニホームが洋服になりました。
 戦前のお役所と戦後のお役所との違いをいやというほど思い知らされました。
 戦争に負けることの惨めさは、言葉に表せません。
 どんなことがあっても、戦争という手段に訴えることは、極力さけなければならないと思います。
 戦争には、どの国もそれなりの正当な理由があると思いますが、戦争はその国の国民の生命、財産をはじめ文化、歴史等貴重なものを失うことになり、その犠牲は計り知れないものがあります。
 究極的には、戦争により人類滅亡という愚かな道に進まないように、原爆の世界で唯一の被爆国である日本人一人一人が平和の貴さを粘りづよく、地道に訴えていくことの大切さを若い人にわかってほしいと願っています。

 

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