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70歳以上の機関誌「銀杏」
事件
     
 
  
 
 
永田和子
 
     

 埼玉県川口市のJR西川口駅前で、事件が起こりました。夜のことです。客待ちタクシーの先頭の車に一人の若い男が近づきました。
 「赤羽!」男は酔っぱらっている様子ですぐ乗り込もうとしましたが、「お客さん」と運転手が言いました。「赤羽なら電車の方が早いですよ。今日は車が混んでいるし……」
 「何だと!乗せねえって言うのか?」「いや…]問答は、もうできませんでした。「この野郎、出ろ!」強引に引きずり出されたのです。運転手の考えは、もっともで、JRなら赤羽まで二駅ですが、車だと迂回して荒川を渡るので、時間も費用も比べものになりません。
 しかし、酩酊した男は、その判断より先に怒りを爆発させ、相手を引き倒して、したたかに殴る、蹴るの修羅場となりました。風体からして見るからに「コワイおにいさん」風の大きな男なので、通行人も手の出しようがなく、見ぬふりで行き過ぎるばかり。…パニックに陥ったのは二台目のタクシーの運転手Aさんでした。
 思わず飛び出して助けようとしかけましたが、余りのことに体がすくんで動けません。
 携帯もない頃のことで110番もできず、おろおろしているうちに、前の運転手は声も出せず、遂に動かなくなりました。無惨にも目の前で死んでしまったのです。
 …社に帰ったAさんは上司に報告し、このことが社長の耳に入りました。Aさんは同業者を助けられなかった自責の念にうちひしがれていましたが、社長は、その状況では家族を抱える身としてやむを得ないことと、彼を咎めることはなく、しかし気の毒な他社の運転手の死に深く心を痛め、葬儀の日にはAさんを伴って心をこめて弔問し、供花も届けられました。事件の夜、現場には数社のタクシーが居合わせて目撃し、報道もされたのも拘わらず、驚いたことには他社の弔問も供花も全くありませんでした。
 何時我が身にふりかかるかもしれない災難を一身に受けた不運な同業者への哀悼の誠意をつくされたのは、Aさんの社長ただ一人だったのです。この社長さんが、当時要請を受けてタクシー会社を経営しておられた若き日の岩城祐子先生です。その後先生が高齢者福祉の先駆者として手がけられた事業の発展と、社会的貢献は、皆様ご存じの通りです。
 この話を知って私は改めて教えられました。何事をなすにも、冷静な計画、正確な情報等が基本なのは勿論ですが、その根底に決して欠くことのできないのは人間としての誠意ではないか、その誠意を果断に的確に表すことが人を感動させ、救いとなり、やがて社会貢献ともなるのではないか。
 ひとの立場を解り、痛みを共有できる人に、それが可能なのではないかと。先生の今の輝きに接してそんなことを考えました。

 

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