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70歳以上の機関誌「銀杏」
私の忘れられない思い出  
 
 
  
 
 
川並清子 85才
 
     

 私は現在の茨城県で18代続いた「なべや」の屋号をもつ呉服商の家の一人娘として生まれました。
 父は、医師の主人がいつも健康に注意して96歳まで長生きしました。、晩年は現在の老人大学のようなものをつくり、毎日、羽織袴、紋付きの、ちょうど、かっての吉田首相のような服装で出かけておりましたことをなつかしく思い出します。
 先代は、親鸞上人の浄土真宗の熱心な信徒でしたので、本願寺に何度も寄進をして京都に行き、当時としては特別に「名字帯刀」を許されました。この関係のおびただしい書類が蔵に保管されていたことを覚えています。蔵といえば、西蔵、中蔵、東蔵、米蔵と4蔵ありました。使用人は番頭、小僧、3組の夫婦者を含めて何人もいてにぎやかでした。母は、土浦2高の第1期の卒業ですが、テニスをするなど当時ハイカラなところがありました。それでも夜は、小僧にいろいろのことを教えていました。まず食事を終えたら、当時は箱膳でしたので、自分で食器を洗い、片づけて棚にしまうことからソロバンやお習字までよく教えていました。
 お正月を迎える時は、使用人の着物、帽子等服装を用意すると共に、母がお正月のご馳走を沢山つくってみんなでおいしくいただきました。
川並清子様(居室にて) 1月2日は、「大売出し」があって大変でしたので、あちこちから人手を借りて大騒ぎをしていたことを思い出します。そして、大売出しの後、「かるた会」(百人一首)があり、親戚も 含めて楽しくにぎやかだったことを昨日のことのように思い出します。
 呉服を出荷するときは、 1町8カ村に出荷する呉服を前日に馬車に積み込み、朝おにぎりのお弁当をもって出かけていきました。
 父は、父の姉の婿に一番番頭を迎え、肥料部を新設して任せ新事業の拡大を計り、その他にも地域の国定教科書の事業を手がけていました。この人は、真面目な人で事業に熱心に取り組んでいたのですが、穀物相場に失敗してスッテンテンになってしまいました。 父が保証していたため全額を弁済するために、筑波一帯に持っていた多くの山を何ヶ月もかけて処分して全て整理したと聞いています。
 このことがあったからかもしれませんが、父は私を嫁に出すには、商人よりも医者が安全であると考えたようで、私は、父が決めた医者の一族の主人のところにお嫁に来ました。
 私は、本当に嫁として務まるだろうかと不安 でしたが、主人のご両親もご兄弟も皆そのまま受け入れてくださって、今から思いますと人には言えないくらい幸せだったと感謝しております。
 主人は、警察病院で10年程肺結核の研究をして、当時としては進んでいたと思いますがレントゲンを備えた内科、耳鼻科、産婦人科等があり、必要な医師を揃えた茨城県石岡の川並病院に移りました。
 思い出としては、私には忘れられないものがあります。
 それは、若くして亡くした次男のことです。
 次男は、幼い頃から私と一緒に歩くときは、決して私に荷物を持たせず次男が持ちました。幼い頃は納得させるのに困ったものでした。この次男が、水戸1校に入学してから、京都大学を受験する前年の10月のことでした。 寮に入っていた次男がひょっこり帰ってきました。「体の具合でもわるいの?」と聞きましたら「何ともない」と言います。主人も「大丈夫だ」と言いましたが、私は何となく心配で主人には言わずに親戚の医者に診てもらいましたところ「入院したほうがいい」と言われ、不安が 大きくなりました。
 検査の結果、腎臓機能障害で助からないことがわかりました。しかも何ヶ月も保たないという残酷なものでした。
 次男には、事実を隠して「大丈夫だから」と毎日励ますのが、つらくて堪りませんでした。毎日次男が入院している病室の窓を次男の洗濯物を持ちつつ見上げながらどれほど涙したかしれません。
 次男は、「お母さんに親孝行ができないから」と幼い頃から私の荷物を持つと言ってきかなかったのではないかと思ったりしますと涙が止まりませんでした。
 次男は、悔やまれてなりませんでしたが、翌年の1月19日に短い一生を終わりました。
 私の誕生日が、2月19日ですので、次男は私が悲しまないように、19日に命を終えたように思えてなりません。
 主人は、次男を思う歌を数限りなく歌い本にして出版しました。
 この歌の中から、数句紹介させていただきたいと思います。

  盆棚を 飾り終わりて 亡き児の話
  ちょうちんの やや古びたる 盆祭
  亡児の友の たくましき顔 盆祭
  思わざる 人来てくれし 盆祭

  こうろぎの 鳴きそめし夜は 妻と在り
  帰省子を 秋雨の中 送りけり
  帰省子を 次々と去りて 秋来る

 私は、いつも次男のことが頭から離れません。
 毎朝、仏壇にお経をあげています。いつも主人と次男が一緒にいてくれて励ましてくれているように思えるのです。
 これまで歩んできた道を振り返りますと、私は本当に恵まれた中をいろいろの方に助けていだいて幸せな道を歩ませていただいたと感謝しています。「川並さんは、苦労された」と言われる人がいますが、私には、苦労したという気持ちは正直のところありません。
 このような気持ちで平安に過ごせますのは、喘息持ちの私をいつも気遣って大切にしてくれた主人をはじめ長男、次男、子供達が皆やさしくしてくれるお陰と思い感謝の毎日を送っております。

 

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