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私は、石川県金沢市に生まれました。
加賀百万石の前田藩で有名な兼六公園の近くに私の家がありました。この公園には毎日のように行きましたので、私の家の庭のように思えるほど懐かしく思い出します。
私は、同じ金沢市生まれの主人と結婚しましたが、主人の父(私の義理の父)の「悠々」から"人の生き方、国のあり方、世界の平和"等、種々の貴重なことを学びました。
私の忘れられない思い出とともに、父である「悠々」の生き方を少しご紹介させていただきたいと思います。
「反骨のジャーナリスト」(鎌田慧著/岩波新書)の中に、『桐生悠々の名前は、「信濃毎日新聞」主筆として執筆した"関東防空大演習を嗤(ワラ)う"の一文によって広く世に知られている。』と記されています。
同書には、冒頭、次の言葉で掲載されています。
『蟋蟀(コウロギ)は鳴き続けたり嵐の夜』
いかにも、反軍・反戦の論説を張って一生をつらぬいた、桐生悠々らしい句作である。
桐生悠々が、「超畜生道に墜ちた地球」と慨嘆していたこの世を去ったのは、一九四一年(昭和十六年)九月だった。長男の桐生浪男(私の主人)さんによれば、その通夜の席に特高があらわれ、悠々が発行していた個人誌『他山の石』の発行停止命令を差し示したという。
このとき摘発されたのは、「廃刊の辞」。読者に対する廃刊のお知らせだったのだが、それさえ発禁にされたのだから戦時下の検閲は苛烈だ。
生涯最期の文章が抹殺されたのを知ることもなく悠々は地球を去った。日本軍部が真珠湾攻撃に踏み切り、自滅に向かって突進するのは、その三ヵ月後である。』
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関東防空大演習を嗤(ワラ)う"の一文は、軍部の関東防空大演習が無意味であることを批判して、この時期、すでに軍部は国民を空爆に曝す日がくるのを想定していたのだから、その無謀さは糾弾に価する。が、ジャーナリズムでは、「信毎」しか、その無謀、無責任を批判しなかった。それも悠々が孤立した理由だった。
『…是の時に当り我機の総動員によって、敵機を迎え撃つても、一切の敵機を射落すこと能わず、その中の二、三のものは、自然に我機の攻撃を免れて、帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろうからである。そしてこの討ち漏らされた敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして、一挙に、焼土たらしめるだろうからである。…逃げ惑う市民の狼狽目に見る如く、…そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東地方大震災と同様の惨状を呈する…』のように鋭く放たれた批判だった。悠々が想像した悲惨は、『十二年後に東京大空襲として現実のものとなった。』とあります。
また、前書に、次のように書かれています。
『「言いたいこと」と「言わねばならぬこと」とを区別しなければならないと思う。「言わねばならぬこと」を、国民として、特に、この非常に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことをいっているのだ。』と。
そして、『「人は誰でも一国家、一民族の構成員である限り、彼の心理作用はその従属国家叉は、民族の伝統によって左右されます。これが自然であります。
だが、この伝統は動(ヤヤ)もすれば、往々にして又ほとんど常に世界の平和、人類の幸福を阻止し、破壊すらもした。』
「悠々」から貴重なことを学ぶことができた私は幸せであったと今改めて思います。
現実を冷静に見つめて、なすべきことをあたりまえに行う。怒らず、怖れず堂々と正道を歩む生き方を教えられました。
新聞記者は、「無冠の帝王」といわれますが、国のため、国民のために、真実を真実としてありのままに伝えるとともに、国と国民が誤った道に進まないように、一歩、二歩先を見る冷静な目と、国と国民が最善の道を誤ることなく選択できる正確な情報と判断材料を的確に提供できる洞察力と判断力と実行力が求められていると思います。
情報が氾濫している今日、情報によって国も人も誤った方向に誘導される危険度は、以前よりも高くなっているように思います。大切なのは、偏った思想や宗教によって、国の「進むべき方向」と「国民の進むべき方向」を誤ることのないように、今こそ真実を正確に報道し、名実ともに「正道」を貫く真実の"新聞記者"が求められていると思います。
「無冠の帝王」ですから自由にどこにでも行って情報収集することが許されています。しかし、新聞記者でありながら、「真実」の情報がつかめず国や国民が「最善」の道を選択出きるような情報提供ができなければ、新聞記者の本当の役割を果たしているとは言えないと思います。
新聞やテレビで報道される情報が、「日本の国にとって、国民一人一人にとって、真実、最善のものである」という責任感と主体性とを持った新聞記者を期待してやみません。
最後に、前書の次の言葉をご紹介したいと思います。
「「大演習」のあと一九三四年から「真珠湾攻撃」の四十一年まで、悠々はこの片々たる個人誌に依拠して、国民を破滅に引きずりこもうとする軍部にむかって、ひとりペンで戦った。」「悠々」は、新聞記者の責任と使命の大切なことを訴えるとともに、身をもって実践した人であると思っています。
私は、生涯を振り返りますと、私の人生に大きな力を与えてくれた尊敬する人を父にもつことができましたことを誇りに思っています。
私は、親孝行の子供達に恵まれて、今平安に過ごすことができるのは、主人と父「悠々」のお陰であると感謝の日々を送っております。
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