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私達姉妹は、弁護士で市議会議長であった父にかわいがられ、歌舞伎、新国劇、新派、宝塚、浅草の喜劇等が好きだった父につれられて幼いときから劇場に行きました。
父は、名誉職といくつもの会社の顧問をしていましたこともあり、芝居の券を豊富にいただきましたので、週に2〜3回は学校から帰宅すると直ぐに劇場に連れて行かれて、劇場で眠っている子供でした。
また、映画を見に連れて行ってくれましたが、浅草や本郷の本郷座(映画と芝居もしました)には、よく行きました。
家は、門から玄関まで50m位あり、人力車(車夫の家があって車夫が住んでいました)と自家用車を父は、使っていましたが、弁護を頼んで来られた方が、お金に困っておられる場合は、弁護士料をいただきませんでしたので、市議会議員になった頃から、家は火の車の状態だったと思います。当時毎月50円の生活費でしたが、ある日母に頼まれて銀行におろしに行ったところ、「預金がありません」と言われて、すごすご帰った悲しい思い出は忘れられません。
それでも、お正月には、私達は七五三のような着物を着せられて家族で近くの湯島天神に初詣をしてから、浅草寺に行って父が家族にご馳走してくれました。うなぎ、天ぷら等のお店をなつかしく思い出します。
上野の不忍の池に一面に咲く蓮の花が咲くときに出す「ポン」という音を聞きに早朝でもいったものです。
母は、女中7〜8人、書生3人、車夫1人がいましたので、昼間はよかったのですが、夜は午前2時、3時頃に父を送ってくる芸者の人達には、母が自ら料理をつくってご馳走を出していました。母は私達が解らない苦労していたと思います。父の帰りを待つ母が居眠りをして、ストーブに頭をぶつけて火傷をしたことなどを見ていますと結婚しようという気持ちはなくなっていきました。
私達の学生時代は、戦争中で男性は大変少なかったものですから、父は、万一結婚しなかった場合を考慮して2人を女医と女教師にしようとして、そうゆう方向の家庭教師までつけられました。私達は幼児の時から芝居漬けになっていたので、(美人なら宝塚を志したのですが)終戦と同時に、自由に意志を貫ける時代の到来を幸いに、親の止めるのも聞かずに、新劇の世界に遮二無二飛び込んだ次第です。
戸川は、スポーツ好きで、バスケット、バレー、テニス、走り幅跳び等なんでもしました。ダンスは、一番好きでした。
由起は、小学校の低学年のとき、盲腸を医師の誤診で、冷やすべきところを反対に温めたため破裂して危うく命を取り留めた経験から、読書好きで家の中で過ごすことが好きでした。
私達2人が飛び込んだ新劇の世界は、見ると聞くのとは大違いで、想像以上の厳しい世界でした。はじめに、「文学座」の研究所に研究生として入れていただいたのですが、2000人の応募者をテストでふるって、50人にしぼり、2年間で10人にしぼり、さらに5年間で6人にしぼるという厳しいものでした。私達は、必至で無我夢中でしたが、「挨拶しても、返事がなければ首」などといわれていましたので、毎日毎日、戦々兢々としていたことを今はなつかしく思い出します。やがて、文学座は、幾つもの劇団に分かれることになり、私達は、別々の劇団に移ることになりました。
私達は、結婚する事を何度か考えたことがありますが、仕事と家庭の両立は無理だと考えていたことと、家庭を持たれた方の悩みやご苦労を目の当たりにしていますと、結婚する気にはなれませんでした。
それでも、役にのめり込んでいきますと、1日に二役、三役をやると自分の切り替えが、難しく自分は多重人格ではないか、自分はどこにいったのか、と悩むことがありました。私達はよくケンカをしましたが、こういう時はお互いに補充し合って家庭を持たなかった分バランスをとってこられたのではないかと思っています。
これまでの歩みを振り返りますと、名優にはなれず、名を残すような俳優には、なれませんでしたが、私達に悔いはありません。好きな道に進み、自分にできることは、すべてやり尽くしたという思いがあるからです。
本当に、自分の知識と経験と他人の内面観察を怠らず、与えられた役の人物になりきるために全身全霊を打ち込んできたつもりです。見る人に感動を与えるものは、主役の人がよければうまくいくというものではなく、また、脇役の人がよければうまくいくというものでもなく、主役も、脇役も、心を一つにして、それぞれがその人物になりきって演技したときに、演者と観客が一体となってはかりしれない感動が生まれるのではないかと思います。
立派な演出家、映画監督、TVデレクター、俳優をはじめ1000人を超える数知れぬ教養高い皆様並びに鑑賞に来て下さった皆様のご指導のお陰で、私達が今日存在していることを思いますと、余生は、愛と優しさをモットーに誰方にも尽くして差し上げて、社会に還元していけたらと思っています。
幸い、アプランドル向山に、私達姉妹一緒に入居できて平安に過ごさせていただいている今を改めて思いますと、両親をはじめ私達を導いてくださった多くの皆様のお陰であると、感謝の日々を送っています。
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