| 主人は、終戦で捕虜となり、捕虜生活の後、捕虜になった皆様と一緒に、輸送船で帰国しました。それでも船が日本に着くまでに、船の中で次々と亡くなり、日本に着いた時には、主人ともう一人の方の二人だけだったとのことです。
このことが主人の生き方を大きく変えたように思います。
私が主人と結婚した経緯は、戦時中勤務していた大手運送会社に一緒に勤めていた主人の妹さんから「兄のお嫁さんになっていただけませんか」と何度も頼まれたのです。私の東京のアパートは空襲で焼けてしまいましたので、私は実家のある埼玉県川越に帰り役場に勤めていました。ある日の夜十時頃主人のお母様が私の実家に訪ねてこられました。その日の朝八時に、主人の実家の千葉県下聡中山を出発して、私の実家を訪ねられたそうですが、道に迷ってとうとう午後十時になってしまったとのことです。びっくりしてお泊めしましたが、どういうご用で来られたのか、おっしゃらないまま、翌日お帰りになるとき、玄関までお見送りした私にそうっと「バス停まで送ってくださいませんか」と言われました。お送りしましたら、お母様は私に頭を下げられて「息子のお嫁さんになったください」と言われました。私は驚いてお伺いすると、私の両親にお願いするつもりで来られたのですが、「とうとう言い出せませんでした。」とのことでした。
私から言うのはなんですが、私のように地主の娘として生まれて、何の不自由もなく暮らしてきた者が、申し訳ありませんが戦後日本中が厳しい生活を強いられている中、それもクリスチャン御一家で清貧の生活をされている主人のところへお嫁にいってやっていけるのだろうか。本当に真剣に悩みました。意を決して主人に会って聞きました。「あなたも、ご家族の皆様も純粋な清い心を持たれたクリスチャンです。私があなたのところへお嫁に行っても、私は一生洗礼を受けないかもしれません。それでもよろしいのですか。」主人は、「“クリスチャンは、こうなければならない”ということはありません。あなたが神様から直接御愛を感じられて洗礼を受けたいというお気持ちになられた時にお受けになればよいと思います。私は、あなたに無理強いすることはしません。クリスチャンは自由です。そして独立しています。」
私は、主人の言葉を信じて、私の両親、兄弟、親戚の猛反対の中、自分で決心して結婚しました。
私は、覚悟をしていたつもりでしたが、主人は大手の運送会社に勤めていたとはいえ、一家を支える程の給与ではなく、その日の食事にも困ることもありました。それでも、必ず毎晩、寝床前に主人はじめご家族の皆様がお祈りをされ、必ず毎週日曜日には、家族そろって教会の礼拝に行かれました。私も一緒にお祈りをして教会に行っているうちに、私は、神様からお招きをいただいて主人の家に嫁いできたように思えてきました。この清い心を持たれた主人はじめご家族の皆様を私がお支えしなければならない。という気持ちになり、私は洗礼を受けることを決心するとともに、なりふりかまわず働くことにしました。
気が付いてみれば、家の目の前に中山競馬場がありました。私は、競馬場の事務室に行って「私に出来る仕事があったら、やらせてください」と頼みました。その時、「朝五時から夜十時までの寮の仕事ならある」とのことでした。それは、獣医さんが朝早く食事をして馬の状態を見て歩き、各競馬場の管理職の方々が、早朝に会議を開き、夜遅くまで会議をするためでした。
私は、仕事をさせてくれるだけでありがたいと思い働かせてもらいました。
お休みの日でも、競馬場から「大野さーん!」とよべば届く距離(徒歩で約五分)でしたので、休日に頼まれて出たこともよくありました。
長男は、私の代わりに両親をはじめ家族の食事をよくつくってくれましたので、感謝しています。私は、一生懸命働きました。主人は、退職後も教会の大切な役を頼まれて長く担当していましたが、ある日母(主人の実母)が介護を要する状態になりました。当時は、今日のようなヘルパーさんがいませんでしたので、私は主人と二人で介護をするために退職を申し出ましたが、受け入れてくれません。六ヵ月の休職ということでやっと認めてもらいました。それから七年間主人と一緒に、母が天寿を全うするまで、母のそばで介護ができましたので、母からも、主人からもいろいろのことを教えてもらいました。母は、「子供は、宝よ!」と繰り返し話してくれました。母は、主人が戦死との通知を受けても「生きている」と信じていたそうです。主人が帰国して玄関に立った時、母は玄関で泣き崩れてしばらくの間立つことができなかったそうです。孫も「かわいくて、かわいくて」仕方がなかったように思います。主人は、また、折りあるごとに、私に話したことは、「どんなことがあっても、人の悪口を言ってはいけない。」「ウソをついてはいけない。」ということでした。私のことを心配してくれた主人もだんだん自分のことがわからなくなり、とうとう私のことも、息子のこともわからなくなってしまいました。
「お母さん、お母さん。お母さんはどこにいますか」と私のことを私にたずねるようになり、ある日、息子に「あなたはどなたですか」と言った主人に息子は大変ショックを受けていました。それでも主人は、いつも讃美歌を歌っていました。そして、最後の日も讃美歌を歌い終わってから静かに息を引きとりました。主人は本当に神様に召されたのだと思います。
主人が私のことをよく頼んでいてくれたのだと思います。教会の牧師さんは、同じように私のところに来てくださいますし、教会の皆様も同じように私を迎えてくださいます。
私の息子のところには、本当に私の実の娘のような嫁がきてくれました。この嫁が息子よりも何かと私の面倒をみてくれて、私は娘のように何でも相談し何でもしてもらっています。このホームにはいれたのも嫁が探して来てくれて勧めてくれたものです。本当に有り難いと感謝しています。
振り返れば、私は不思議な生き方をしてきたように思いますが、私にはいつも主人を通して神様の御守りがあったように思えてなりません。
私が天寿を全うしたときには、主人と一緒に天国にいれていただけるようにいつも御祈りしています。
(談)
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