機関紙「銀杏」

「母のいる場所」作家

ひさだ めぐみ                     

久田恵さん 連載 コラム

「あんな日もこんな日も」


銀杏76春号  2024年3月に掲載 No.16

 六年前、風光明媚な那須高原のサ高住に入居した私だった・・・。

 が、結局は、懐かしの向山の家に戻ってきてしまった。

 那須のサ高住は、丘の上に愛らしい木の家が立ち並ぶ素敵なところだった。それを眺め、「終の棲家」のつもりで移住。

 当時、私は、両親と暮らした「向山の家」を息子家族に引き継ぎ、近くのマンションに一人で暮らしていた。

 それはそれで快適だった。

 けれど、広い空や白い雲、緑の牧草地。そんな那須の風景を眺めたら、つい心が動かされてしまった。

 那須では、車を購入し、嬉々として自然の中をドライブしまくる日々を満喫した。が、年齢には勝てなかった。

 ついに後期高齢期に入り、車の運転からリタイヤ。そうなれば、徒歩5分のところに必要なもの全てが揃っている豊島園の魅力を再認識するしかない。

 そして、父も母もお世話になった懐かしのアプランドルやシルバーヴィラ。

 そこから徒歩三分の家こそが、私に大きな安心を抱かせてくれる場所だと気づいたのだった。


銀杏75秋号  2023年11月に掲載 No.15

 わが家は、シルバーヴィラ向山から、徒歩3分のとこのにある。

 思えば、二十数年前、私は神奈川の実家で母の介護中の身の上だった。

 シルバーヴィラを取材することになったものの、夜に来て、タクシーで帰るような状況だった。

 そんな私に、施設長だった岩城祐子さんが言ったのだ。「あなた、もう家族全員でこのホームに引っ越してらっしゃい!」

 その言葉に促され、母を入居させてもらい、父がホーム隣の住宅地に家を買い替えるという大決断をしてくれた。

 おかげで、私は、毎日母のベッドの傍らで原稿を書くなんてことができるようになった。その母を亡くした後、父も当然のようにシルバーヴィラに入居。彼は、そこで九十二歳の生涯を全う。

 残された私は、一人、ふらふらと那須高原に移住し、美しい風景の中をドライブしまくる日々を送った。

 そして、気が付けば七十代半ば。

 父が残した実家に戻り、静かな晩年を送ろうかな、と思い始めている。


銀杏74夏号  2023年7月に掲載 No.14

  東京から友人が那須に移住してきて、モダンな家を建てた。

 5つの寝室と広いリビングと厨房とお風呂のある檜づくりの家!

 それを建てたのは、檜創建という会社で、その若社長に「建ててよ」と頼んだのがわが友人たち。

 彼らは、生活リハビリ介護なる考え方を揚げていて、檜の椅子や介護用のお風呂などを作り、それを介護の世界に広めようとしている。

 もともとは東京で、看取る人のいない人たちのために「看取りの家」なるものを立ち上げていた看護師さんとその仲間たち。

 私は、取材で彼らと知り合った。

 わがハウスの近くに「看取りの家」を立ち上げた彼らと今や家族のような関係だ。

 ちなみに、その「看取りの家」は、居酒屋付きで人生の最後まで、飲んだり食べたりして楽しくやろうね、との趣旨だけれど、はたしてそれが実現可能かどうか。それが問題だ。

久田恵


銀杏73春号  2023年3月に掲載 No.13

 私の住む那須町には、いろいろな人が移住してくる。ほとんどが東京や横浜などからやってくる。

    隣町の別荘地には、夫妻一緒の方たちが多いけれど、私の住む周辺は、単身男性ばかり。

 ここは牧場が多く、なだらかな牧草地が続き、その周辺にこんもりとした森が点在している。

 そこに定年後のDIYを愛する夫たちがやってきて、自力でログハウスを建て、畑を耕し、せっせと野菜を育てたりしている。

 その多くが、七十代半ばの団塊世代。聞けば、皆、妻を誘ったけれど、「私は都会派なの」と断割られた夫ばかり。「捨てられた」とまで言う人もいる。でも、彼女たちは高原の美しい季節にはいつもやってきて、存分に楽しんで帰って行く。

 この時期を夫婦が好き勝手に過ごすってことは、お互いが人生の終わりまでシアワセにやれるための大事な知恵なんだなあ、と思う私だ。

久田恵


銀杏72秋号  2022年11月に掲載 No.12

 ついに私の住む那須のサービス付き高齢者住宅も、急にコロナ対策が緩和されてしまった。

 それが、えっ、ゲストルームも!自分の部屋も!全部OKになっちゃたの?と言う状況。

 そんなわけで、来たい、来たい、と言っていた友人が、さっそく、行く、行く、と次々に言ってくる。

 でも、見学の人も急に増えて、ゲストルームは、常に満杯。

 そんな中、温泉好きの息子までが「これから那須で遊ぶには、母の部屋にみんなで泊まろう、タダだしね」と言い始めた。孫娘が三人。狭い部屋に五人での雑魚寝状態となる・・・。

 そんなわけで、終活などどこ吹く風で、あれこれ荷物を持ち込んできていた私は、ついに部屋の片づけを始めねばらなくなった。

 移住して五年目。その間に使わない買ったものは全部、捨てる作戦。これがね、やり始めると止まらな苦なる。で、目下へろへろ状態が続いている。

久田恵


銀杏71夏号  2022年7月に掲載 No.11

 坂道で転びました。

 急ぎクリニックで膝のレントゲンをとったら、「年齢膝」と言われて、ヒアルロン酸の注射を五回も打ちました。  

 それで、治ったわ、と思ったら、また痛くなり、さらに痛くなかった左足の膝までもが痛くなり、ついに花柄のステッキを見つけて購入しました。

 「あら、おしゃれなステッキじゃないの」と褒められつつ、杖に頼っていたら腰も痛くなりました。  

 それで、やっと気が付きました。  

 みんな元気そうに見えても、足の付け根が痛い人、肩が痛い人、指が痛い人、手首が痛い人・・・、と体のどこかが痛い人が、周りにたくさんいることに。 「みんなどこかが痛いのに我慢しているのね!」と驚いたら、「それが年を重ねるということだもの」と。  

 そんなわけで、ついに私もしみじみ「老い」のリアルを感じているこの頃です。

久田恵


銀杏70春号  2022年3月に掲載 No.10

 近所に「原っぱ」を借りて、草を刈ったり、ガーデンハウスのペンキを塗ったりして二年。

 ついに、そこに人形劇舞台を建てて公演をする準備が整った。

 内容は「原っぱ」を舞台にしたファンタジー。クモやヘビやスズメバチ、カメムシなどなど、登場するのは、全部キラワレモノの虫たち。

 気持ち悪い、ヤだあ〜、と言いながらも、みんなで制作していたら、それらが愛おしくなってきた。

 続いて、台詞を言ったり、人形を操作しいたりの参加者の人集め。

 人形劇なんか見たこともない、という入居者たちを、「ねえ、やって、やって」と誘いまくった私だ。

 かくして、七、八十代の男女で、シニア人形劇チームが結成された。

 冬ごもりの間、わあわあ言いながらの練習はなんか楽しい。

 この「老いてこその自己表現」、という精神は、シルバーフェスタで楽しそうにしていた皆様から私が学んだことなのでした。

久田恵


銀杏69秋号  2022年7月に掲載 No.9

 那須に来て四度目の秋を迎えている。萩の花が咲き、ススキの銀色の穂が風に揺れ、野原には、群生する黄花コスモスが咲き乱れている。

 森は次第に秋色のグラデーションがくっきりしてきて、うっとりするほど美しい。

 さすがに四度目の秋ともなると地域に知り合いがたくさんできてきた。県境の川を挟んだ隣が福島県の西郷村で、この村にも親しい友人ができた。

 横浜から移住してきたその友人の家は、里山の林の中にあって1本も釘を使わない工法で建てた太い梁のある木の家に住んでいる。

 そこの囲炉裏端で森の話をしていたら、風が吹く度にザザッと激しい雨の降るような音がする。

 それは、コナラやナラやクヌギのドングリが風に落ちる音。

 「今年はドングリが豊富だから、クマたちがたっぷり食べてゆくり冬眠ができる」と友人が嬉しそうに言った。まるで宮沢賢治の世界だなあ、と私はしみじみ思ったのだった。

久田恵


銀杏68夏号  2021年8月に掲載 No.8

 私の住む那須のサ高住には、五十数名の入居者がいる。ここは、自然が美しいが交通不便。冬は寒くて、風が吹きまくる。そんなところに一人で来てしまった人たちだから、皆、自立心が強く、すこぶる個性的だ。

 私も移住してきて四年目、さすがにみんなすっかりなじんでしまった。言いたいことを言いあって、けんかをしたり、はしゃぎまくったり。家族と離れた同士のせいか、自分たちが世間では高齢者と呼ばれる立場にあることを忘れ果てて暮らしている。

 時々不思議になる。私はどうしてここに来ちゃったのかなあ、と。

 先日、入居して十年の隣人と庭を眺めながら、「なんで、私はここに来たかなあ」とつぶやいたら彼女が言った。

 「私はね、ただあなたが来るのをここで十年も待っていたのよ」だって。

 その言葉に意表を突かれて、私は思わず涙がこぼれそうになった。

 確かに、彼女は人生の晩年に出会ってしまった奇跡のような友なのかもしれない、なんて思った。

久田恵


銀杏67春号  2021年3月に掲載 No.7

 コロナ渦の中、息子がスマホのラインで家族の動画を送ってきます。とくに、二年前に誕生した末の娘が喋ったり、踊ったり。その様子に癒されています。

 思えば、母の介護のため神奈川の家を売り払い、シルバーヴィラから徒歩三分の家に住み替えたのは、当時八十歳の父の決断でした。

 それから二十年。

 父の残した家で彼のひ孫たちが次々生まれて育っているのです。

 私は、この家でシルバーヴィラの助けを借りて介護の日々を送りましたが、春が近づくと母や父の車椅子を押して散歩に出たものです。

 無彩色の住宅地に真っ先にミモザの花が咲きます。春を告げるファンファーレのように。

 毎年、ミモザの前で私は母や父に「春が来た」と弾む声を掛けたものです。それから数年後、ベビーカーを押しての散歩中に近所の方が、「まあ、お散歩の相手が若返っちゃったのねえ」と声をかけてきました。

 こうして、向山の家は大切な思い出を刻んでわが「家」へと育っていったのです。今年は帰れるかな。

久田恵